横山大観 (1868 - 1958) - Taikan Yokoyama (1868 - 1958)

横山大観は1868年、茨城県に生まれました。幼名を酒井秀松といいましたが、後に母方の養子となり横山という姓に変わっています。

当時の日本は世界の門戸を開いたばかりで、神道の強化、国家主義の高まり、近代的思想の普及など、さまざまな変革の中にありました。

大観は当初、官僚を目指し東京英語学校に入学しましたが、卒業後、現在の東京芸術大学に入り直し、そこで絵画を勉強しました。当時の校長は、日本美術院を設立した岡倉角蔵(訳注:天心)でした。最初の美術院は失敗に終わりましたが、1914年、大観を始めとする多くの優れた芸術家たちの援助によって再興されました。

大観は、さらに絵画の勉強を続けるべく、米国、欧州、インド、中国を始め全世界を旅しました。そして1930年、彼は、美術大使としてイタリアに派遣されます。この旅は、大観の作品にとりたいへん貴重な体験となりました。

彼は、光と色を強調することによって、日本の伝統的な写実主義を打ち破った先駆者の一人です。彼のスタイルは広く受け入れらることはありませんでしたが、独創性に優れ、ほかの画家たちがさまざまな実験を試みるきっかけとなりました。 初期の大観の傑作の一つに、1923年に発表された巻き物に描いた水墨画の大作「生々流転」があります。真に偉大な芸術家だった大観は、数多くの感銘を与える作品を生み出し、絶賛されています。

大観の繊細な作品は世界中のすばらしいコレクションに選ばれていますが、量、質ともに最高のコレクションは、ここ山陰の足立美術館にあります。

このすてきな美術館と、ほかでは見ることのできないすばらしい庭園は、だれでも知っています。皆さんも出掛けられてはいかがですか。きっと忘れられない思い出になるはずです。