サメ(その2) - SHARK II

「出雲国風土記」には、毘売埼(ひめさき)という名前の岬が出てきます。風土記によれば、これは安来集落にありました。 物語の主人公は、語り部の長である語臣猪麻呂(カタリノオミイマロ)です。彼の娘が岬を散策していたところ、サメに襲われて殺されてしまいました。天武天皇の治世2年目(674年)の第7の月の13日のことでした。 娘の亡骸は毘売埼の海岸に埋葬されました。猪麻呂は嘆き悲しみ、気も狂わんばかりでした。

数日後、猪麻呂は1500万の天の神、1500万の地の神、地上にある399社の神社の神、そしてすべての海の精に祈りました。娘を殺したサメに復讐するための力を貸し、そして娘の魂が神になったことを示してほしいと頼みました。 猪麻呂は砥いだ矛(ほこ)と矢を手に、サメを仕留めるのに良い場所を選んでサメを待ちました。まもなく100匹ものサメが、娘を殺したサメを引き連れてやってくると、そのサメを取り囲みました。猪麻呂はサメを矛で刺し殺しました。すると、他のサメは泳ぎ去ってしまいました。 私は矛の形をよく知っていますが、猪麻呂が使用したという矛は、むしろ銛(もり)に近かったのではないかと思います。

マレーシアにも、この話とまったく同じような話があります。サメの長老がいて、人間を襲ったサメを呼び出して罰したという話です。 サメの話は大洋にまたがる伝説であり、私たちを出雲の国の起源へと導いてくれます。