須勢理と大国主の命 - Suseri and Okuninushi no Mikoto

大国主は、出雲の国の歴史、そして伝説の中において最も偉大な神の一人に数えられます。大国主に対する呼び名は数多く存在しますが、そのうちの2つが大己貴(おおなむち・日本最古の書物・古事記[712年]、出雲の国風土記[733年])と宗教の場で用いられる呼称・大黒です。「天の下のものすべてを支配する」というのが大国主の名前の真の由来です。

大国主の名は彼と白うさぎの冒険、そして因幡の八上姫との婚姻について描いた物語・因幡の白うさぎの物語に初めて登場します。出雲大社入り口の左側には、この物語を描いた像が立っています。大国主は2度にわたって嫉妬深い兄弟たちに命を奪われますが、母の必死の祈りを受けたこの国の神々の手により蘇ります。

しばらくの間国を留守にした大国主は、須勢理という美しい女性と出会い、二人は恋に落ちます。 須勢理は偉大な神、須佐之男の娘でした。娘を手放したくない須佐之男は、まず蛇でいっぱいの部屋で、続いてクモとサソリでいっぱいの部屋で大国主を殺そうとしますが、大国主は須勢理から渡された襟巻きによって守られ、須佐之男の企ては失敗に終わります。3度目の試みとして須佐之男は、高い草で生い茂った野原の中から鳴鏑を見つけてきてくれるよう大国主に頼みます。そして彼が草原の中へ入っていったところで四方から火を放ちました。

しかし、大国主はねずみたちの助けにより、ここでも難を逃れます。火が収まると大国主はねずみたちから受け取った鳴鏑を手に須佐之男の元に戻り、それを手渡しました。須佐之は燃え盛る炎の中から生きて帰ってきた大国主に驚くばかりです。以来ねずみは、七福神の一人に数えられる大黒と最も関係の深い生き物となりました。 須佐之男の仕掛けたあらゆる危機を逃れた後、彼の住む館に招かれた大国主は、須佐之男の髪の中のシラミをつぶして彼を眠らせます。そしてその長い髪を梁に縛り付け、彼の天沼琴(あめのぬごと)と生弓矢(いくゆみや)と生太刀(いくたち)、そして須勢理と共に姿を暗ましたのです。

ところが天沼琴の音に須佐之男は飛び起きてしまいます。彼は自らの館を破壊し、二人の後を追い始めます。夜の国の門へと続く黄泉比良坂(よもつひらさか)をつたって逃げる大国主をこれ以上追いかけることができない須佐之男は、あきらめてあるがままを受け入れることにします。そして、大国主に自分から盗んだ生弓矢と生太刀で邪悪な兄弟たちを追い払い現在の杵築にあった宇迦山のそばに館を建てるよう言います。大国主は須佐之男に言われたとおりにし、二人は長い間幸せに暮らしました。

こうした物語の中にはオセアニア地方に起源を持つものもありますが、そうした物語に大国主の母親のような女性は登場しません。大国主を蘇らせるうえで彼の母親の果たした役割はたいへん明確であることから、こうした地方の物語をもって出雲の国の人々の起源を証明するものということはできません。フィンランドには出雲の神話にたいへんよく似た物語が存在します。遠い昔、かの地から日本にやってきた人々がいたとも考えられます。シベリアは古代の宗教・シャーマニズムの誕生の地です。それ以前にはアニミズムという宗教が存在しましたが、日本の中にもそうした宗教が存在したことを示す痕跡が見つかっています。

話を大国主に戻すと、彼は出雲地方に腰を落ち着け、人々と一緒になって働いたということです。そして大和によると、この時を境にして出雲はより暮らしやすい場所になっていったということです。