わびさび - Wabi and Sabi

わびさび

日本人は知性溢れる優れた民族ですから、その考え方はもっと多様でしょうし、日本文化に根ざしたものであるはずです。 わびは「わぶ」という言葉に語源を持ち、つらくて精も根も尽き果てたという意味で使われていました。形容詞の「わびしい」は、孤独で、すがるもののない状態を指しました。当時の人々の生活は孤独感にさいなまれ、助けてくれるものもなく、逃れることのできない精神的、肉体的な苦痛に満ちていたのです。

鎌倉時代(1185〜1333)、室町時代(1336〜1568)になると、この「わび」は文学者たちの手により、貧困、孤独、美が欠如した状態を通した物欲や苦悩からの解放という、肯定的な意味合いを持つ語に変わりました。そして、この発想は茶道や、哲学の中核を成す概念となっていきます。村田珠光(1502没)や武野紹鴎(1504〜1555)、千利休(1522〜1591)といった人達は、貧しさの中の豊かさ、質素なものの中に潜む美を発見し、世に紹介しました。

これは、日本人のみならず、世界中の人が共有できる感覚です。私はとても貧しい家庭で育ちましたが、家族と過ごした時間、我が家だけの食事は掛け替えのない素晴らしいものでした。物やお金に困らない生活を送り、心を忘れてしまった人を見るととても気の毒です。私は今でもこの「古き良き時代」を懐かしく思い出します。こうした文化的な思想に私たちは常に耳を傾けるべきです。世界中で、文化により考え方は多少異なっても、人間はみんな同じです。

さびの精神」によって、私たちは古いものの持つ美を鑑賞することができます。骨董品は、古さが生み出す新しいものにはない独特の色とつやを持っており、これを美しいと感じるのです。世界中どこでも、各家庭には何年も前の古い物があり、時が経つにつれてその価値は増していきます。古いものを慈しむ心は万国共通なのです。そして、古さが魅力となるのは物だけではありません。酸いも甘いもかみ分けた老人の持つ枯れた美しさもまた魅力的です。

昔の日本の職人は、人々が感じていた、なすすべのないさまざまな苦痛に新たな解釈を与え、それによって庶民は安らぎを得ることができたのです。今日では、わびさびという言葉の元の意味も新たな意味も知らない人が多くいます。外国語にはわびさびに相当する言葉はないかもしれませんが、彼らにも理解することは可能なはずです。

老人の肌の柔らかさは、人生の試練をくぐり抜けてきたことを何よりも物語っています。私の持っている根付けは、だれがどれほどの時間を費やして作ったのでしょう。そして自分の作品の出来具合をどう思ったのでしょうか。もちろん私はたいへん気に入っています。

以前、私は日常から離れ自然の静寂の中で心の平穏を取り戻そうと、よく森へ出掛けました。そして、ひっそりと佇む岩や、谷川の急な流れを見つけ、ただ風に吹かれるまま過ごしました。そうした場所にいるとき、私は自分がいかに小さな存在であるかを知り、同時に自然と生命そのものの持つ美を実感することができたのです。「わびさび」は確かに私たちの中に存在しています。これは仏教の教えに基づくものですが、世界のすべての人が理解できるはずです。