月照寺 - Gesshojiy

月照寺の歴史は一六六四年、当地に松江松平家の墓地を置くことが決められたことに始まります。松平家はここ松江で十人の藩主を輩出しました。その内初代から九代目までは月照寺に眠っていますが、十代目藩主は江戸に参勤していたため、彼の遺骨は別の場所に存在します。

一九五九年に私が初めて松江を訪れた時、車やバス、その他の危険な乗り物は走っていませんでした。私は当時の、落ち着きがあり、平穏に満ち、古風で趣のある街松江に恋をしました。当時、汽車や船で多くの場所に出掛けましたが、歩いて行かなくてはならない所も数多くありました。月照寺も最初に訪れた場所の一つです。ほとんどの方は御存知無いと思いますが、当時の月照寺は今と比べるとあまり美しくはありませんでした。実際、それはかなり荒れ果てた状態でした。とても小さなお墓や、今と異なり、石で出来ていないものさえありました。

人々から常に裕福であると信じられて来た松平家にとって、あの様なみすぼらしい場所に誉れ高い一家の主人を葬らなければならなかったのは、さぞかし無念であったに違いありません。松平家が富める人々であるというのは、江戸では事実でしたが、その影には時の将軍による、下克上、謀反を未然に防ぐ為に全ての藩に課された重税の存在がありました。

私達は当時の為政者の発想について考えてみる必要があります。彼らは自分達に与えられた権力を失いたくはありませんでした。そこで敵を脆弱なままにしておく方策の一つとして、重税を課すという手段を頻繁に用いたのです。 また、幕府は各藩主の家族や親戚を客人として江戸に迎え入れましたが、実は彼らは人質だったのです。これも、幕府の転覆を図る勢力を押さえつけておく目的で用いられました。現在でも一部の国に存続します。

今日、月照寺には沢山の観光客が訪れ、アジサイやアヤメを始めとする美しい花が咲き乱れています。資料館や売店、さらには食堂まであり、とても魅力的な観光地です。 亀の住む小さな池もあり、子供達の人気の的です。ここには、大きな亀の像が夜な夜な町を歩き回り、人々を恐がらせるので、動けないように大きな石を甲羅の上に乗せたという伝説が残っています。私はこうした古い民話が大好きです。皆さんはいかがですか?。