考古学上の遺跡 - Archeological Remains

現代を生きる私達が、歴史を指し示す発見に対して注目を寄せることは殆どありません。例えば、以前鳥取県の淀江町で、古代の寺院跡から千三百年前に描かれたと見られる絵画が発見されましたが、学者達は、これを奈良文化を模倣した物だと主張しました。しかし、実はこの絵画は奈良のものより古かったのです。

また、それまで日本の何処にも見られなかった特異な配置を見せる、二つの塔を有する古い寺院が発見されました。学者達は、これはこの地方の族長の発案によるものではないかとの見解をまとめました。しかし、これは非常に早い時期に仏教を携えて山陰地方にやって来た人々の存在を証明しているのではないのでしょうか。

こうした例は、新たな発見を基に我々の文化の形成に及ぼしたのは何であったか、ということを突き止める事より、むしろ歴史の既存の解釈を守って行く事に血筋を注ぐ勢力が存在することを示しています。このことはまた、我々のこの地が、美術に関する限り奈良と同じか、あるいは奈良以上に古い歴史を有している事を物語っています。

美術は文化の始まりであると言われます。縄文時代、弥生時代の土器は日本全国で発掘されていますが、山陰地方では、それ以前の時代のものと見られる、小型の石器や貝塚が発見されています。貝塚は、南太平洋からやって来たと思われる海洋民族によってもたらされました。 このことは、古代に移住してきた人達の内、第一期と第二期に当たる人々は、南太平洋から渡って来た、という学説と一致しています。

第三波と第四波は北方からやって来ました。この地方はこのような事象に事欠きません。そして、出雲の国が日本の原形である事を考古学的に示す発見が日々成されています。出雲が日本誕生の地であるという意見に私も同感です。丘陵からは、古代の墓が多数発掘されています。出雲の国は、多くの人々が集う巨大な王国であったに違いありません。皆さん、こうして見ると、自分の生まれ育った地とその歴史が誇らしく思えて来ませんか。