彫り物 - Carving

彫り物

日本人は、伝統的に見たものや想像したものを、木、象牙、骨などに再現しようと試みてきました。山陰地方の彫り物の技術は、すばらしいものです。 石見流の彫り物はたいへん美しく、飽きることがありません。しかも、めったにお目にかかることができません。岩見流の彫り師は、わずか6人を数える程度しかいませんでした。その中の一人に、すばらしい作品を生み出す才能あふれる女性がいました。私もいくつか彼女の作品を見たことがありますが、感銘を受けました。

私は彫り物ならどんなものでも好きです。また、日本の根付けの収集もしています。それほどたくさん持っているわけではありませんが、同じような趣味を持つ人に出会えたら本当に楽しいだろうと思います。日本語でかまいませんので、どうかお手紙をください。 近世に名をはせた木彫り作家の一人に、荒川亀斎がいます。彼は、木版画を始めあらゆる彫り物を残したすばらしい芸術家でした。小林如泥は、松平不昧公の墓の廊門の彫刻を彫りました。私は、ただその優れた彫刻を見るためだけに月照寺に足を運ぶことがあります。

清水寺の塔には、四方すべてに美しい彫刻が施されています。一部破損していますが、それでも見事なものです。出雲大社の社殿にも、いくつかの入り口に精巧な彫刻が彫られており、どれもたいへん高い評価を得ています。山陰地方の到る所で目にすることができる彫刻からは、たとえ無銘であっても昔の芸術家たちの魂が伝わってきます。彼らは、真実を表現すること、感情に訴えること、完璧なものを創造することに情熱を傾けました。勤勉であった彼らは、心を込めて作品に取り組みました。お金などどうでもよかったのです。最高の芸術家たちは、才能を認められ、人々の尊敬を集めました。

多くの人たちは、それを作った芸術家はもういないと思っていますが、私には、彼らが残した作品の中に、彼らの姿を見ます。彼らは作品の中で永遠の生命を得たのです。芸術家たちの魂は生き続けています。 私は、技能の面において、日本文化にすばらしい貢献を果した献身的な天才たちに敬意を表すべく、すべての人がそれぞれ何か芸術を学ぶべきだと思います。

そして若者たちは、伝統的な芸術を引き継ぎ、自分の子供たちに伝えなければなりません。いやしくも、お金のために日本の偉大な芸が失われてしまうとしたら、あまりに残念なことです。祖先たちがしたように、こうした芸術を継承し、先人たちと同等に美を生み出せるようになれば、たくさんのお金を得ることができるでしょう。懸命に努力し、心を込めて取り組み、あきらめないことです。この「あきらめない」ことがおそらく一番大切だと思われます。

続けていれば、成功するのです。お金のことを考えてはなりません。お金のことを考えれば、心は芸術から離れてしまいます。お金など、とるに足りないものです。私はお金の誘惑に負けた芸術家を数多く知っていますが、彼らは決まって作品の質を落としています。優れた芸術家になりたいのなら、ほかのことはすべて忘れて全身全霊を打ち込むことです。