七宝焼 - Cloisonne

七宝焼

七宝焼は、何百年にもわたって、日本の美術の一角を占めてきました。最初に作られた七宝焼きは、6世紀後半の飛鳥時代にさかのぼります。

七宝焼は、細い針金、または小さな金属片を小さな区画を形作るように金属の基盤に取り付けて、作りたいと思う物の形にします。次に、エナメルガラスをその区画に流し込み、それをオーブンに入れて、エナメルガラスを溶かします。そして、金属の線が浮かび上がってくるまで磨き上げます。金属線には、真鍮、銀、金などが使われ、作品に美しさを添えます。

七宝焼きは、日本中いたるところに数多く残っています。江戸時代の17世紀、七宝焼の人気はたいへん高まり、全国に広まりました。芸術性の高い作品の中には、私が「日本美術の黄金時代」と呼んでいる安土桃山時代に作られたものもあります。この時代は長くありませんでしたが、壮麗な時代でした。しかし、その精巧さから、いくつかの美しい七宝焼については日本で作られたことを疑問視する声があります。

七宝焼の起源は中国にあるといわれています。中国や朝鮮半島では、日本に伝わる以前からこの技術が使用されており、こうした地域から渡ってきた工芸家が日本にこの技術をもたらしました。彼らの多くは、国引き神話の頃に日本にやってきました。622年前後のことだったかもしれません。当時、中国と朝鮮半島は、混乱のさなかにありました。

江戸時代最初の七宝焼は、早ければ1634年に作られたとされています。それ以前にも多くの作品が作られていますが、この時代の常として作者の名前は不明です。奈良の正倉院には、750年頃に作られたと見られる鏡が所蔵されています。このことから、8世紀には七宝焼が日本で作られ使用されていたと見て、ほぼ間違いないでしょう。七宝を施した物には、戸の引き手、釘隠し、火鉢、火ばし、杯、刀の装飾品、硯の水滴、家具の取っ手など、無数にあります。

七宝は、大変人々に愛されている日本の美術品です。もっとも優れた七宝焼が作られたのは、おそらく18世紀でしょう。その後衰退した時期もありますが、再び盛り返し、今また、その人気は高まっています。事実、この古来の芸術を楽しむための同好会が世界中に存在します。彼らは、アクセサリーだけでなく、日用品や家の飾りとして、おもしろく美しい作品を作っています。皆さんもやってみませんか。きっと楽しいと思いますよ。