剣と鉄 - Swords and Steel

剣と鉄

日本の刀は古くから、世界中に数多く存在する刀剣の最高峰に君臨してきました。そして、その中でも最高傑作の呼び声が高いものはこの出雲地方で作られたと言われています。これは、この地方で採れる砂鉄は純度が非常に高く、たいへん丈夫な鉄が作られたことと、「たたら」によるものです。

古代には、「たたらぶき」と呼ばれ、乾燥した泥から作られた砂鉄を溶かすための炉がありました。「たたら」という言葉は、中国語の訛ったものですが、やがて製鉄に使用する小屋を指すようになりました。「ぶき」は火力を強めるためのふいごのことです。江戸時代(1600〜1867)には、深さ1メートル、長さ2.7メートル、幅90センチ、壁の厚さ9〜15センチの炉が多く使用されていました。

奈良時代(710〜794)に中国から朝鮮半島を経由して日本にたたらぶきが伝わったとき、火の温度を上げるためのふいごは手動でしたが、当時の日本人はこれをより効率的な足踏み式に改良しました。こうして作られた鉄は、今や全世界にその名をとどろかせる日本刀を筆頭に農機具、大工道具、茶会に使う鉄瓶を始め多くの用途に用いられました。たたらぶきはさまざまな改良を重ね、19世紀末まで使用されました。その後一時途絶えていましたが、第一次世界大戦中に鉄が不足するようになると復活しました。しかし、それ以降はほぼ姿を消してしまいました。

吉田村にあるたたらぶきが、現在操業可能なものの中ではおそらく最も古いと思われます。実に600年も前から使用されています。横田町では、このたたらぶきで現在でも製鉄を行っています。伝統的な製法を守るため、日本刀保存協会により三つのたたらぶきが作られています。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の物語は、日本における鉄の歴史の幕開きを物語ります。須佐之男命は大蛇を退治した後、大蛇の8本の尻尾の1本から美しい剣を見つけ、これに「叢雲(むらくも)」と名付け、太陽の女神天照大神に渡しました。そして天照大神はこれを三種の神器の一つとしてニニギノミコトに与えました。

伝承によると、剣は後にその名を「草薙(くさなぎ)」に変えたということです。草薙は光と強さを象徴する剣であるといいます。私はこうした日本神話が大好きです! 日本では、青銅器時代と鉄器時代はほぼ同時期に始まったようです。須佐之男命が誕生したのはおそらく今から2000年以上前でしょう。また、須佐之男命は天照大神の弟であることから、日本神話が生まれたのもこの時期であると思われます。ただし、日本の建国を紀元前660年とする紀元節は、明らかに史実に反していると思います。現実的に見て、日本国統一を促進する役目を果たした大化の改新の後の西暦660年と考えるのが妥当でしょう。