茶と進歩 - Tea and Progress

都が京都に移った平安時代(794-1185)以降、茶の湯は日本の貴族階級の生活の一部になりました。ある寺院が所有していた財産を記した11世紀の記録の中には多くの茶道具が出てきます。このことは、茶道が僧侶達の間で愛好されていたことを示しています。

お茶は、健康に良いだけでなく集中力を維持するのにも威力を発揮します。この頃からお茶会は寺院の儀式から姿を変えて行きます。そして、その原因として、この時期中国の茶道具を収集し自らの邸宅で茶会を開いた貴族階級の存在が挙げられます。

室町時代(1333-1568)になると、真のお茶(本茶)と新しいお茶(非茶)の違いを見極める「闘茶」が人気を集めました。本茶とは、僧・栄西が1191年に中国から持ち帰った種から育ったお茶の葉を指します。勝者には豪華な褒美が与えられ、沢山の酒が振る舞われました。しかし間もなく闘茶の席で暴力沙汰が頻発する様になり、幕府はこれを禁止してしまいました。

これは茶道が今日我々が目にする様な姿になる前のことですが、茶道の様なこの上なく優美なものでさえ、適切な統制を欠くと最悪の事態を招き得ることを示唆しています。今ではこの様な不幸な出来事は過去のものとなり、平穏で楽しいものであるという、茶の道本来の姿を取り戻しています。

真の茶道は、食べ物の用意から宗教、歴史、書道、陶磁器、造園、建築の知識までを含みます。多くの家元達が独自の様式を生み出し茶道を多様なものにし、人々を引き付けています。人は誰でも個性的であることを望むものなのです。