猪麻呂と調査 - Imaro and Research

現在の日本は多種多様な宗教の元発展を遂げてきました。その中でも最も新しい宗教はキリスト教です。仏教はおよそ1450年にわたり日本の発展に大きく寄与してきました。それでは、それ以前の時代には私たちの知る日本が形作られるうえでどのようなことが起きていたのでしょうか。 主な点としてに、八百万の神(やおよろずのかみ)という言葉もあるように、日本の人々は絶えず世界の多くの神々と交わっていたということが挙げられます。しかし、古代の伝説の中にはさらに多くの神がいたという記述が見られます。

674年のことでした。猪麻呂という一人の男が、娘をサメに殺されてしまいます。猪麻呂は復讐を果たすべく15000000の天の神と15000000の地の神、そしてすべての海の神と寺院や神社の神々に祈りました。神々は娘を殺したサメをほかの100匹から1000匹のサメと共に安来の姫崎岬に追いやります。そして、猪麻呂は娘を殺したサメを仕留めました(仲間のサメの数は本によってまちまちです)猪麻呂は、朗詠をなりわいとする部族の長でした。

この出来事が起きた正確な年が知られているのは、出雲国風土記に記されているためです。この出来事は、やすきという町で起きました。やすきは、安来の古い名前です。「安らぎ」を意味するこの地名は、須佐之男が自らの王国を散策していたとき、彼がつけたものです。この出来事は出雲地方の祖・須佐之男について述べている点で非常に重要といえます。

この国がどのように発展を遂げたかについての真相を知るためには、さらに時代をさかのぼらなくてはなりませんが、適切な判断を下すためには私たちの手元にある数多くの物語の考察を行うことが必要です。そして、その実現に向けわれわれは、この地にやってきた最初の神々・伊耶那岐と伊耶那美を始めとするそのほかすべての神々の起源について考えてみなくてはならないのです。

神が初めて現われたときから神々が日本の発展に与えた影響という観点においてこうした物語はたいへん重要であり一つとして見落とすことはできないのです。 神々の起源も論じていかなくてはならない問題です。神々には天の神もいれば地の神もいます。伊耶那岐と伊耶那美は須佐之男同様天の神でした。大国主を始めとするそのほかの神々は両親の出自は高天原であるにもかかわらず地の神です。この考えとは相容れないほかの考えもありますが、広まらなくてはならないのは常識なのです。