神話へのいざない - Introduction to the Legends

国引きの伝説は、朝鮮半島における日本の統治領であった任那(みまな)を始めとするさまざまな場所から出雲へ渡ってきた多くの移民たちの存在の象徴するといわれます。熟練した土木技師であった彼らは、出雲の国をこれまでよりもはるかに大きくするために神門湖(かむとこ、現在の名は神西湖 〔じんざいこ〕)や島根半島と本州の間に位置する土地の開墾に着手します。

国引きの伝説は、実際にあったことが基になっているのです。 この連載では、便宜のため八束水大水神(やつかみずおみずぬ)を大水神と呼んでいますが、出雲の国風土記の中では、彼は偉大な水の神と呼ばれています。古事記においては、大水神の名は単に皇室の系譜との関連で登場するのみで、大水神の行ったことについての記述は見当たりません。これはたいへん残念なことです。 風土記に収められている大水神の物語は、文芸形式ではなく朗詠者による口述的な形で書かれています。それゆえ、彼の物語は古代よりシャーマンの祈祷師たちによって口から口へと語り継がれてきたのです。

次に高志(こし〔現在の富山県〕)と出雲の国との関係について取り上げようと思います。この二つの場所はたいへん近く、治水のために出雲の国にやってき高志の国の人々は友人として歓待を受けました。 次の一連の伝説は、偉大な土地の支配者として名高い大国主命についてのものです。伝説の中でも述べられているように、大国主は高志の奴奈川(ぬなかわ)姫を嫁にもらいます。 大国主は須佐之男の子孫でもあるのですが、正確な血筋は明らかになっていません。須佐之男の息子であるという説、6代後の子孫であるという説、また別の代であるという説も存在します。いずれにせよ、この偉大な神は、出雲の国の大社の神、そして支配者となり大和の国の皇帝の、すべての敵を征服するという目的をかなえるため大和に合流します。

またこのことは、645年に起こった大化の改新が現実のものにしました。 大国玉は、大国主の命の別名であるとされていますが、伝説によると大国主は地上で誕生し、大国玉は高天原で生まれたということです。よってこの二人は同一人物ではありません。伝説は詳細に読まなくてはならないのです。 大国玉が地上に降り立ち、いなしですばらしいご馳走を平らげたという物語があります。いなしというのは、古語で「ご馳走を頂く」ということを意味します。

一般的に出雲地方はたいへん古く、地上の神々は古代出雲人が誕生して以来数千年にわたってこの地で権勢を誇ってきました。一方、天の神々が出雲と交わるようになったのは、つい最近のことです。 しかし、伊耶那岐と伊耶那美のように天から降臨し出雲神話の中で大きな役割を果たした神々も存在します。

日本史の中で、高天原の須佐之男と出雲にやってきた須佐之男との間には大きな時間的隔たりがあります。 これについて考察を進めると、高天原の須佐之男と地上の須佐之男は別の神様ということになります。この二人は性格をかなり異にしています。高天原の須佐之男は数々の騒動を巻き起こしますが、地上の須佐之男は偉大な英雄です。

これまでにも須佐之男の性格については論じてきましたが、今後さらに深く突っ込んだ議論を展開していくつもりです。 本連載の中で、私はたびたび自らを出雲人の一人として紹介してきました。皆さんどうかご容赦ください。私は心から自分が出雲人だと思っているのです。過去30年間を出雲人として生きてきました。少なくとも私の心は出雲人であると思っています。