出雲の国-神の国 - Izumo no Kuni-The Land of the Gods

松江は出雲地方の文化、産業の中心であり、すべてはここから生まれています。小さくても魅力あふれるこの街では、古代の遺跡に容易にアクセスすることができます。

出雲地方において、訪れる人々の目を特に引くのは、この地方の至る所で目にすることのできる数多くの古代の人口遺物や遺跡、古い寺院や神社です。日本の歴史はこの地で幕を開けたのであり、そのことを裏付ける発見が日々なされています。

この地方は壮大な文化を有し日本の歴史の中で多大な影響力を行使してきました。古い文書は、古代の伝説のほとんどがこの「神の国」で誕生したことを私たちに教えています。

一つ銘記しておかねばならないことがあります。それは、出雲は常に出雲という名前であったわけではないということです。出雲と呼ばれるようになったのはおそらく8世紀以降のことと思われます。それ以前は「杵築」と呼ばれていました。

さらに、出雲の国について語る際それが、日本最古の書物と考えられている古事記に「出雲」の国として登場する「意宇(おう)の国」よりも古い歴史を有していることにも留意しなくてはなりません。 また、一国の指導者たちが記した書物が常に正確であるとは限らない、ということも決して忘れてはならないことです。

杵築と呼ばれていた古代の「出雲の国」が「大和」よりも古いことは周知の通りです。出雲の国はたいへん強大で、大和にとり畏怖の対象だったのです。 大和に統合される以前ですら、杵築はその力を基に少なくとも一人の天皇を即位させるのに貢献しています。その人物とは、杵築と友好関係にあった越の古い国からやってきた継体天皇(507‐531)でした。

継体天皇は自らが応神天皇(3??‐?)と血族関係にあることを主張したのです。大和は杵築を敵と見なし杵築を地獄と関連付けて貶めることに躍起になりますが、継体天皇の即位がその理由であったと思われます。 大和は欽明天皇(540-571)を即位させ、皇室の系譜を取り戻しました。