七福神 - SHICHIFUKUJIN

人々が幸運を呼ぶ事を願ってよく買い求める物と言えば何があるでしょう。恐らく、七福神とその神々が乗り組む宝船の絵ではないでしょうか。この七福神、誰がどの様な理由で、そしてどの様な経緯を辿って選ばれたのでしょう。

14世紀から15世紀の日本では、宗教はさほど明快には区分されておらず、あらゆる宗教が比較的自由に混在していたと言います。この様な状態は長期間に渡って続き、19世紀後半まで完全な解決を見ませんでした。そのため、道教、神道、仏教を始めとする様々な宗教から選ばれたこの7人の福の神は、それぞれの宗教で異なる名前を持っていました。

七福神のほとんどがインド、または中国からやって来たという事実は、驚くには値しません。日本とこれらの国々との間には、七福神が誕生する以前から、何百年にも渡り交易や交流があったのです。これら七人の神を選んだのは、天海という僧だと言われています。

ある時、天海は三代将軍徳川家光と自然の高貴さというものについて話し合いました。高貴さとは何かと問われた天海はすぐさま次の様に「自然の高貴さとは七つの徳、すなわち、長寿、幸運、人望、誠実、愛敬、威厳、寛容から成るものです。」と答えました。そこで家光は天海に、この七つの徳を表す七人の神を選ぶ様に命じました。天海は、当時の偉大な画家、狩野に、自ら選んだ神々の絵を描くよう依頼しました。

以来、七福神は絵画、飾飾物や像、玩具などに見られる様になったのです。七福神は、一人ずつ単独で描かれることもあれば一緒に宝船に乗っている姿で描かれる事もあります。七福神とは、何を表しているのでしょうか。