個性 - Individuality

若い人たちは私によく自由になりたいと言います。彼らにとって自由とは何を意味するのでしょうか。法律に違反して好きなようにお酒を飲むことでしょうか。未成年の飲酒は法律で禁止されています。となると、自由とは法律を無視する権利ということになるのですが、果たして本当にそうなのでしょうか。東京に住む15-18歳の若者のうち、飲酒の経験があるのは男子の80%以上、女子の90%以上にのぼることが最近の調査で明らかになりました。しかもそのうちの25%は常習的に飲酒をしているのです。

この調査は東邦医科大学によって行われたもので、調査の対象に外国人は含まれていません。 東京に行こうとしている若者たちの両親がこの調査結果を真剣に受け止めるか、東京がそんなにすばらしい所なのか、考えてしまいます。 多くの学生が東京に行きたがります。東京には良い学校があるといいます。しかし、どの学校が一番であるとだれが決めるのでしょう。学生が良い成績を修めようと一生懸命勉強しさえすれば、どんな学校でも良い学校であるといえるのではないでしょうか。

島根大学に対して、それほど良い大学ではないという声があるのは知っています。しかし私は、ここを卒業し地域社会の重要な一員になっていくすばらしい学生を数多く見てきました。教職員の多くも優秀な講師や教授たちで占められています。 ひょっとして、学生たちが東京に行きたがるのは「自由」になるためではないでしょうか。私も子供たちには自由を体験してほしいのですが、同時に、かけがえのない人生に対して自ら責任を取れるようになってほしいと思っています。

学生の多くは、自由に伴う責任を引き受けることなくただ自由のみを享受していたいのです。 自由とはいつも遊んでいられることを意味するのでしょうか。多くの学生たちがこれを実践しています。自由という言葉は、好ましくない響きを多々含んでいます。

我々が求める自由を建設的な目的のために行使し、プレイボーイやプレイガール、あるいはアルコール中毒になり美しい未来を台無しにすることのないよう留意し、実り多く価値ある人生に備えようではありませんか。