山陰地方 - Introduction to The Sanin Area

山陰地方は、兵庫県北部の天の橋立から山口県西部にかけて広がる地域ます。天の橋立は松の木に覆われた長さ3キロに及ぶ砂州で、写真を撮ったり、くつろいだりするには持ってこいの場所です。

山陰の南西端に位置するのが東萩と萩です。私は以前、見島という萩からほど近い海岸の沖合にある小さな美しい島に住んでいました。私は1年間、そこのレーダー基地に勤務しましたが、東萩の駅から列車に乗りたびたび福岡に行かなくてはなりませんでした。東萩はたいへん趣のある魅力的な町でした。

そこでの時間は、米空軍で過ごした期間の中でも最も幸せなものの一つであったように思います。だれにも邪魔されることなく毎日泳ぐことができ、魚もたくさん釣れました。島民の皆さんは、これまでに出会った中で最も親切な方たちの内に数えることができます。もちろん、世界で一番温かいのは山陰の皆さんです。少なくとも、私はそう思います。

萩はその歴史と焼き物で知られる街です。その趣のある町を訪れれば、細く静かな通りに皆さんきっと魅了されることでしょう。通りの多くは拡張されていませんが、舗装されておりどんな天候の下でも散策することができます。萩はたいへん歴史のある街です。

萩の焼き物は独特の手触りを持っています。萩焼きは、見た目が粗くうわ薬も簡素で、原則として装飾を施すことはありません。しかし、スェーデンから新たにやってきた陶芸家は、自らの作品に装飾を施しています。 萩の陶芸家たちが用いている粘土は、かつて松江の楽山窯でも使用されていました。どちらも私は好きです。皆さんは萩、または天の橋立にお見えになったことがありますか。もしなければ、ぜひ訪れてみてください。

山陰地方はどこも歴史的にたいへん重要であることは言うまでもありませんが。 山陰について語る際、我々はこの地方の、日本の王国の歴史における重要性について忘れがちです。この地には古代の伝説や神話が根付いています。「黄泉の国」や「黄泉の国へ通ずる坂」もこの土地で目にすることができます。

周辺の町では、この土地に敬意を払うべく毎年お祭りが催されます。偉大な先導者であったスサノオノミコトは、自らの国や花嫁、そして偉大で強力な指導者としての名声を求め天から降臨してきました。

ヤマタノオロチとの壮絶な戦いが繰り広げられ、オロチの八つの頭が埋められたというのもこの地での出来事でした。オロチのしっぽの中から見つかった剣は、三種の神器の一つを成しています。三種の神器は数世紀にわたり鉄造りを支えた砂鉄にその起源を持っています。現在でも、この地方でできる鉄は、人々に恐れを抱かせる壮麗な日本刀に用いられています。今もこの地に残るたたら製鉄の炉で日本刀鉄が造られているのです。古代の工芸品や風習もいまだにこの地には残っています。

私はしばしば、伝説の国、邪馬台国の起源もこの地にあるのではないかと考えます。学者たちは、スサノオの国はかつて邪馬台国が存在したと思われる九州北部もその支配下に治めていたと主張していますが、奈良地方に存在したという説もあります。

地図を広げて、スサノオの国がだれ一人予測しなかったほどはるか遠くまで、ことによると奈良地方まで広がりを見せていたことを知れば、たとえ邪馬台国が一部の人たちが主張するように奈良にあったとしても、その起源はこの地方にあったことをおわかりになるはずです。邪馬台国が存在した場所として、九州説、畿内説がありますが、出雲地方の人々にとって、邪馬台国がどこに存在しようがさして意味は成さないのです。それは、まさにここ山陰地方で始まったのです。

歴史的、考古学的史実は、山陰地方が皇室、天皇の系譜の裏付けとなる伝説発祥の地であることを物語っています。ものを言うのは常識なのです。