相撲 - Sumo

相撲

相撲は人類最古のスポーツの一つです。その歴史は今から2000年前、弥生時代中期にさかのぼります。日本の国技と言えば、だれでも相撲を真っ先に思い浮かべます。今日、相撲の人気はたいへんなもので、力士たちは世界的に知られています。

過去に私は、今や伝説的存在となった大鵬や、北の海、千代の富士といった力士の熱烈なファンでした。彼らの取組は、観る者を興奮させとても人気がありました。近ごろでは若手力士の台頭により、大勢の若い女性が相撲観戦に訪れて活況を呈しています。

多くの西洋人の目には、相撲は退屈なものにしか映りませんが、私には相撲観戦を通じて友人を作ったという経験があります。電器店の店頭に置いてあるテレビで見知らぬ一人の日本人男性と相撲中継を見ながら、私たち二人は登場してくる力士の力量や取組前の仕切りの表情、取り口などについてあれこれ言い合い、とても楽しい一時を過ごすことができました。

そして今、相撲人気は外国人の間でもにわかに高まっています。土俵のはるか上には、「館」と呼ばれる神道造りの屋根があります。本来は悪天候から力士を守るためのもので、4本の柱で支えられていました。後に相撲が屋内で行われるようになると、屋根は残りましたが柱は撤去され、代わりに鉄製のケーブルで屋根を天井から吊るすようになりました。柱があった場所には、現在四季を表す飾りの房が見られます。緑は春、赤は夏、白は秋、黒は冬をそれぞれ表します。

勝敗の決定は、古代の装束に身を包み、軍配を手に持った行司が行います。さらに、土俵周辺には「審判」が座り、行司の判定に不服がある場合は、「物言い」をつけ最終的な判断を下します。相撲においては、すべてが何かを象徴しています。四角い土俵は28のわらの束で縁取られており、束は砂の中に埋まっています。土俵の中には20の束で形作った直径4.55メートルの円があります。土俵中央には、約90センチの白い2本の線が1.2メートル間隔で引かれています。力士たちは取組の前にこの線に手をつき、お互いににらみ合って戦意を高揚させ、相手の出方を探ります。相撲で地面に触れることが許される体の部分は足だけです。最初にそれ以外の部分が地面に付いたり、土俵の外に押し出された方が負けです。

位が上の力士は、絹でできたまわしを身に着け、低い位の力士たちは綿の紺のまわしを着けます。上位の力士たちは自分の好きな色のまわしを着けることができ、中には何十万円もするものもあります。まわしからは、絹をねじって糊付けした前掛けのような紐が何本も垂れ下がっています。そしてこの数は常に奇数と決まっています。これは、神社にあるしめ縄を表し厄払いのためのものです。

取組の前に塩をまいて土俵を清めたり、しこを踏むのも同じ理由によるものです。相撲はシャーマニズム、神道の色彩を強く帯びたスポーツです。場所中、力士たちは大銀杏まげを結います。最も人気のある位は「幕内」で、ここに所属できるのはわずか38人の力士だけです。幕内にはさらに、「前頭」、「小結」、「関脇」、「大関」、「横綱」の段階があります。

相撲は実力だけがものを言う世界です。横綱だけはいくら負けてもその地位から陥落することはありませんが、常に勝つことを義務付けられており、それができなければ引退しか道はありません。現在、相撲界には約700人の力士がいます。