文楽 - Bunraku

文楽

文楽(西洋では「人形劇(puppetry)」として知られています)が始めて歴史に記録されたのは11世紀のことです。当時、猟師たちとその妻が町から町へ小さな人形で芝居を上演して回っていました。これがやがて、神戸にほど近い淡路島に根付きました。淡路島は今でも人形芝居発祥の地として知られています。

浄瑠璃は、その昔、軍記物語や恋物語を語りながら放浪していた琵琶法師たちの歌を起源としています。浄瑠璃という名前は、初期の浄瑠璃の一つ、「浄瑠璃姫物語」に由来します。浄瑠璃姫は、有名な武将、源義経に求愛され結ばれた女性です。同じころ、それまで使用されていた琵琶に代わって、琉球から日本に伝わった三味線が人形芝居に用いられるようになりました。三味線の音は琵琶の音よりも文楽に合っている、ということが理由だったようです。

文楽という名前は、淡路島出身で当時最も成功していた人形遣い、植村文楽軒から来ています。 初期の文楽においては、人形遣い、太夫、三味線のいずれも舞台には現れませんでした。まず舞台に登場したのは人形遣いで、彼らはひもを使わずに手だけで人形を動かします。その後、太夫と三味線も観客の右手に姿を現すようになりました。このような変化は、すべて18世紀に起こりました。

人形遣い、太夫、三味線のどれをとっても、文楽の世界で一人前になるには長い修業が必要なため、この世界で大成するための厳しい努力を続けられる人はめったにいません。文楽の灯は日本から消えようとしています。しかし、一方でその卓越した芸術性と美しさから、文楽は全世界の人々を魅了し続けています。おそらく、日本が生んだ偉大な芸術を継承する人も現れるでしょう。文楽を学びたいという外国人もいますが、日本の芸術は日本人によって受け継がれるべきだと思いませんか。私は絶対そう思います。