芸術への国際的影響 - International Effects on Art

インドは、芸術において多大な貢献をした国です。インドで生まれた仏教は、中国や朝鮮半島に伝えられる過程で、さまざまな思想も同時に吸収しました。そして、最後に日本にたどり着いたのです。仏教は日本で、その国情に合うよう変化を遂げました。この時期は、日本で最も芸術が発展した時代であり、そのほとんどすべてが宗教と結び付いています。

彫刻、絵画、建築、習慣などが、この古い宗教の影響を受けています。日本美術の最高傑作は、そのほとんどがこの時代に作られたものです。中国でさまざまな芸術が溶け合い、それが朝鮮半島へ伝わり、さらなる発展を遂げました。その後日本にも持ち込まれ、各派は純粋な日本文化を確立しようと模索しましたが、中国の芸術は非常に強固で、多種多様な文化の影響を受けていたため、独自の文化として分離することは容易なことではありませんでした。

事実、日本の芸術は、その多くが中国の発想と融合したものであり、純粋な日本美術なるものを見つけることはほぼ不可能です。その混在する美しさを楽しもうではありませんか。私は中国人を描いた日本画や、日本の家や人を描いた中国風の絵をいくどとなく見たことがありますが、両者を切り離すことは不可能なことのように思えます。陶芸には、中国や朝鮮半島の影響やさらにはヨーロッパやそのほかの国から日本の南部や西部に渡来した古代の陶工の影響を見て取ることができます。

美術について知ることはとても楽しく、そうした本を読み始めるとなかなか閉じることができません。私はいつもだれかから美術品を見せてもらうときは、そのデザインがどこから来たものかを考えます。優れた作家の傑作である場合は特にそうです。作者ですら、どこからそうしたデザインが来たのかわからないかもしれません。これは本当に楽しい勉強です。また、日本の古代史を考えるうえでも、とても意味のあることです。

このコラムやほかの本でもときおり述べることですが、私は、古代の日本人は、コーカサス人だったのではないかと考えています。日本で最初に記録された民族がアイヌ人であったという事実も、このことを裏付けます。当時蝦夷と呼ばれた彼らは、紀元になって渡ってきた他民族からの迫害を受けました。しかし、それ以前にさかのぼれば、ネアンデルタール人がやってくる以前に日本には人がいたことが、最近の考古学上の発見により明らかになっています。

ネアンデルタール人は約25万年前にこの地に移り住み、4万年前まで住んでいました。その後北ヨーロッパに住んでいた人々が、当時地球を襲ったさまざまな自然災害から逃れるために日本列島に移動してきたと思われます。彼らはゆっくりと、大陸の一部だったと思われる日本に移動しました。また、多くの動物たちも渡ってきました。彼らは、当時アジアと陸続きだったアメリカ大陸にも容易に渡りました。日本人の起源を正確に突き止めることは不可能かもしれませんが、このような情報は常に考慮されるべきだと思います。

そのほかの発見によって、数千年前には、地球の地形は現在とは異なっていたことが明らかになっています。現在熱帯に属している地域は、遠い昔には北極地帯でした。これは推測ではなく事実なのです。過去について知ろうとするとき、私たちは発想を柔軟にし、素直な心を保つようにしなくてはなりません。固定観念を持つのは良くないことです。固定観念を持てば、それを否定する何かが常に現れてくるものです。このことは、日本に関して特に当てはまります。

芸術は、それに影響を及ぼす文化が変容するにつれて変わっていきます。アイヌ人は、ネアンデルタール人と同様に信心深い部族でした。ほかにも似たような習慣を持っていました。たくさんの本を読み知識を深めましょう。