越と出雲の国 - Koshi and Izumo no Kuni

古代の物語は、出雲の国が高志(こし)と友好関係にあったことを教えてくれます。古事記ではそのことがあまり重要視されていませんが、その原因は政治的問題にありました。出雲と高志の親善は、奴奈川姫が大己貴(おおなむち、大国主の別名)の2番目の妻になったことに始まります。大国主と彼の最初の妻・矢上姫との間に生まれた息子・通称恵比寿は美保の岬に行って暮らしました。

この「2番目の妻」という言葉はさして重要ではありません。大己貴は幾度となく婚姻を繰り返したのですから。以前にも述べたように、因幡の国(現在の鳥取県)の矢上姫と「夜食国(よるのおすくに)」の支配者・須佐之男の娘であったと考えられる須勢理姫(すせりひめ)との間で執り行われた最初の2度の婚姻が、最もロマンティックなものでした。

出雲と高志が友好的な関係にあったことはほかの物語でも証明されています。その一つに、伊耶那美の時代に高志の国からこの地にやってきた職人たちが「コシ」という名の町に滞在しながら、巨大なため池を作った、というお話があります。このため池は、ヒブチという川に作られました。現在ではフチシ川と呼ばれています。 これを機に出雲と高志の関係はたいへん良好なものになっていきます。古事記が支配者たちによって語られたものであるからといって、それが自分たちを世界に向けて喧伝するための道具として彼らに利用されるようなことがあってはなりません。われわれがおそらく真に信じるべきであろうと思われる古代の物語群は、神道がまだシャーマニズムだったころながきに渡り用いられた祈祷や経典を通して伝えられました。

製鉄技術はこの地で、たたらという元々中国から輸入した技術を日本向けに改良してできたかまどを用いた製法の下で始まります。純度の高い砂鉄が発見され製鉄業の発展に貢献しました。この砂鉄は現在でも安来市で安来特殊鋼で使用されています。また、現在たたらは、横田町と吉田町、松江、出雲地方周辺のみで操業しています。

鉄を出雲に持ってきたのは大国主であったといわれています。しかし、鉄が実際にやってきた時期はもっと早いため、この説については議論の余地があります。これまでとは異なる新しい技術は大国主によるところが大きいのかもしれません。