水稲農業 - Wet-Rice Agriculture

水稲農業

米は今からおよそ2000年前、インドから中国、朝鮮半島を経て日本に伝来しました。これは、多くのほかの古代の習慣がユーラシア大陸から渡ってきた時期とほぼ時を同じくしています。

須佐之男(すさのお)は、八岐大蛇(やまたのおろち)を酔わせるため、奇稲田(くしなだ)の母親と父親に指示して米を用いたたいへん強いお酒を作らせましたが、おそらくそれは焼酎だったと思われます。私の経験では、焼酎は実に強いお酒です。多くの人が、次の日「二日酔い」と呼ばれるひどい頭痛に悩まされます。

伝説によると、水稲は、天照(あまてらす)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日本を治めるために遣わされたときに手渡された穀物であるといいます。水稲文化の改良が始まったのは7世紀ごろですが、このことは瓊瓊杵尊が日本にやってきた本当の時期を知る手がかりになりそうです。

同じころ、自国から日本に逃れてきた朝鮮人により改良された水稲文化が出雲の国の人々にもたらされました。622年、日本が朝鮮で敗れた後のことでした。この時機もまたたいへん的を得たものでした。朝鮮の伽耶は日本が支配していたことから、これら朝鮮人たちは日本の人民と見なされました。 米の歴史は日本の歴史と関係しているのです。 米は多くの場所で何が起こったのかを語っています。

出雲の国の歴史は、水稲の技術より古いのですが、水稲の導入は出雲の国をより強大にするのに貢献しました。 朝鮮半島にも偉大な歴史はありました。古代中国は中心であり、世界の多くの地域の文化の交流地点でもありました。これら二つの国は共に日本の国家の起源を形成しました。そして、その起源を基に、日本は全世界から尊敬を集める偉大な文化を作り上げたのです。