大森銀山 - Omori Ginzan

大森銀山

大田市の近くにある大森銀山を訪ね、とても楽しい一時を過ごしました。古い友人や、この連載の一つ読んだことがあるという一人のすてきなご婦人に出会いました。彼女は私がこの連載の著者であるか尋ね、家内がそうだと応えたのです。このご婦人はユーモアのセンスをお持ちで、お話している間随分とお笑いになっていました。幸せな方です。

遠い昔、大森銀山がまだ操業していたころ、この地域の人口は20万人以上を数えました。随分多くいたように聞こえますが、松江市の人口が14万人余りであることを考えると、20万人は大きな数です。私たちは羅漢寺を見学しました。バクとシシのたいへん見事な彫刻が入り口のところにありました。寺の周囲にも多数の壮麗な彫刻が見られました。城上神社にも行きましたが、竜の鳴き声を聞くことができ、とてもおもしろかったです。

大森銀山は別名大森銅山といいますが、だれもがここを銀山と思っています。事実、鉱山からはほかの何よりも多く銀が採掘されました。また、金も大量に採掘され、鉱山の全採掘量の約4分の1を占めました。鉱山は全体で450エーカーに及び、歴代の判官によって運営されました。1600年ころから255年間にわたり、60人の判官がいたと聞きます。1640年と1834年、採掘作業は停止されています。

後に民間の鉱山会社が再開しましたが、1923年をもち鉱山は永久に閉山されました。この町は魅力的で、鉱夫たちの逸話や生活について研究するのはたいへん楽しいものです。彼らが生んだ技術的進歩もきわめて興味深いものでした。暗部にも目を向けましょう。私たちは、任務をきちんと果たさなかったり年を取り役に立たなくなった奴隷たちの処刑場を目にしました。家内はそこを通るたびに暗い気持ちになります。

しかし、銀山の所有者たちはそこで死んだ人たちになんらかの感情を抱いていました。それゆえ、彼らは、帰る家を持たない魂が安らかに眠れるようにと、羅漢寺を建立したのです。そこからほどない場所に、五百羅漢と呼ばれる、ブッダを表わしているとされるおよそ500体の彫像を目にできる場所があります。像は道路からすぐそばの洞穴の中です。

長時間懸命に見つめていると、像の中に知人の顔を見つけることができるといわれています。私も試みてみましたが、私の鼻はかなり大きいのです。アメリカ人の友人たちの多くも同じです。再び行って挑戦しなくてはなりません。像の中の一つが、わずかながら私の兄弟に似ており、そのことを手紙で彼に伝えたところ、自分と同じ鼻を持っているやつなどいるわけはないと言っていました。もっとも、二、三人の日本人の友人の顔は見えましたが。

そこでの体験がどんなものであれ、地域全体は歴史的に非常に重要な場所です。もしそこを見逃せば、山陰に関して知りたいことがあっても、それについてたいへん重要なものを見逃してしまうことになるでしょう。