後醍醐天皇 - GODAIGO

後醍醐天皇

ゴダイゴと聞くと、ロックバンドを連想する方も多いと思いますが、幕府から権力を奪還しようと反乱を企て、隠岐に島流しにされた天皇の名であることも忘れてはなりません。

後醍醐天皇(一二八八-一三三九・在位期間一三一八-一三三九)は、貴族の助力を得て将軍家転覆を図ります。しかし、企ては漏洩し、天皇は一三三二年、隠岐への流刑に処せられます。隠岐滞在中、天皇は西郷の国分寺か西ノ島の黒木御所に住まわれたと言われています。約一年後、隠岐を脱出した天皇は、その後数人の武将の力を借り鎌倉幕府を滅亡させ、天皇は実権を再びその掌中に収めることに成功し、時代は建武の新政へとなだれ込んで行きます。

しかし、一三三五年、武将達は、奉公に報いようとしない後醍醐天皇に対して蜂起し、天皇は奈良近効の吉野山に立て篭もることを余儀なくされます。その後、新たに天皇が即位すると、権力は再び幕府に渡って行きました。 その時点で、後醍醐天皇はまだ存命中であった為、二人の天皇が存在するという事態が発生しました。

京都朝廷(北朝)と吉野朝廷(南朝)の対立は五七年にも及びましたが、朝廷は最終的に統一を見ることとなります。後醍醐天皇は、一三三九年に崩御なさいました。しかし、わずかな間とは言え、幕府から実権を取り戻したのは紛れも無い事実です。

鎌倉時代(一一九二-一三三三)、及び室町時代(一三三六-一五九八)は、政治的混乱の長く続いた時代でありましたが、同時に多くの芸術的、文学的才能が開花し、技術的躍進を遂げた時代でもあります。後醍醐天皇自身も教養豊かな文学者でした。 天皇は一三二二年、中国語で書かれた仏教史に関する最初の包括的な書物「元亨釈書」(げんこうしゃくしょ)の献上を受けています。

虎関師錬(こかんしれん)によって記されたこの書は、一六九〇年になってようやく日本語に訳されましたが、その言わんとするところは、「日本こそ仏教の真の故郷である。仏教は印度で堕落し、中国では迫害されたことによる」というものです。歴史に対する興味が薄れることはありません。